■<理性>とは?
「理性的」「理性的ではない」という物言いをすることで良し悪しを判断する。
”哲学の世界で<理性>と言えば、人間の持つ知的な諸能力のうち最上位の能力を指す”
知的能力についてヨーロッパ人は「感性」「想像力」「知性」「理性」というもの。
「感性」⋯いわゆる「五感」のこと。感覚機能の事を指す。感性(感覚)。それは受動的なものなので、知的能力の中では最下位に置かれる。
知的能力の中では最下位、ということは。知的な受け方という意味であるから、「感覚。そして五感に基づくもの」という定義、意味合いだろう。ということ。
知的能力分野では、最下位。つまり、それが基底となって、感覚し、そして把握、言語化する、ということ。
たとえば、触感を例に出してみよう。
・肌に触れる。
・肌に触れられた感触を受ける。
・それを自覚する。「肌に触れている感覚がする」
・言語化。「肌に触れられている」
※最下位、という言葉の先入観、主観的印象のようなものを捨て去ることが必要だ。
「想像力」⋯感性から受け取ったものを細部まで把握すること、そして作り出すことができる力。
そのために感性に比べれば、能動的な能力とされた。
受け取るだけではなくて、そこから自分で作る、想像する、から能動的な能力、ということ。(※感性に比べれば)
感性から受け取る、ということ。実際に作る、書く、描く、ということをしていくと、細部を想像することになる。それは、かいたものから、実際に作ること。その繰り返しで、「想像力が育まれる」
「知性」⋯規則や原則に基づいて推論する、ということ。
推論をするということは、きっと、ただ思考するよりも難しいことなのだろうと思う。
「推論」とは?⋯既知のものから未だわかっていない事を予想、そして結論づける、ということ。
そして推論、ということなので、ただ直観を論理的な文にしていく、証明の為に討論をしていく、ということではなさそうだ。
単純に、ここから考えていく、ということ。まるで積み上げていくかのように。
思考のための方法は様々ある。それが思考の規則や原則のようなもの。
となると、より、曖昧な方向へ何かを立てていく、というか、方法(規則や原則など)を用いて「ベクトルを向けていく」ようなもの。
それが知性。ないしは推論、ということ。
推論はかなりレベルが高い知性における知的能力なのだろう。
「推論」の具体例。
簡単な例でいくと、「三段論法」
「人間はいつか死ぬ。ソクラテスは人間だ。だから、ソクラテスは死ぬ」
が、基本的な三段論法を用いた推論。
「大前提、小前提、結論」
既知の前提を扱い、そして新しい結論を導くのが、「推論」だ。
誰かがおこなった、行為の善し悪しを判定する、倫理的な、あるいは論理的な推論。
なにかはある。知性を受け取っては、そしてそれを規則化、規範化、原則化するのは難しい。
・だからこそ、『支柱』が必要だ、ということ。というよりも、『支柱』があれば、それをルール化できるもの、のような使い方をすることができる、ということ。
・そして、「理性」とは「知性から見出したものを規則や原則に見出すものだ」
私は理性や抽象性において、それをみいだして見たい。